南材木町
当社が店舗を構える南材木町は南北に長い町です。北に穀町、西に舟丁、南に河原町、東に南石切町と南染師町と接しています。
その名のとおり,木材の専売権を許された町で,寛永年間(1624~43),若林城が造営された際に,その城下町として割り出されました。 その頃は若林材木町と呼ばれ,南材木町と呼ばれるようになったのは,若林城が廃されてからです。
現在は材木屋さんは殆ど残っていませんが、戦災を間逃れた事もあり当時から続く白壁の家がいくつも残っています。
奥州街道の通り道であった南材木町のメインストリートは道幅が広いですが、北の穀町に入る所で、S字にカーブした造りになっています。 これを枡形といって、昔敵が攻めてきたとき、この曲がった所で迎え撃つためにこのような造りになったと考えられています。
大正8年には、南材木町に住む伊勢久治郎により仙台初のバス会社、仙台市街自動車株式会社が創設され、 昭和17年に仙台市が買い上げて仙台市営バスとして現在へと続いています。
現在は、地下鉄河原町駅の開業により、駅徒歩5分弱のエリアとなっており、河原町駅から仙台駅は5分で行ける交通アクセスの良さから住宅地としても人気があります。
南材木町
寛永初期に城下町を南方へ拡張する際に用材供給のため割り出され当初は若林材木町と称した。城下町方二十四町のひとつで材木のほか煙草の専売権も与えられ、江戸道中南口、後の国道沿いの商人町として栄えた。戦災を免れたため今も土蔵建築や町内神などが残り昔日の面影を伝えている。
竹屋横丁
南材木町と南石切町と結ぶ横丁で、かつて竹屋があったことに因む。竹は弓矢、旗竿をはじめ、建築用材や日用雑器などにも幅広く用いられるため特別の保護育成がなされ、他領への移出も禁じられた。集荷供給は専ら竹屋に扱わせ公用の竹は村々に御竹藪を設けて、採取を竹屋に行わせていた。
旧針惣旅館
明治中期に建築された建物で、杜の都景観重要建造物等に指定されている。旅館業を営んでいた旧針惣旅館には、土井晩翠なども滞在した。庭や玄関付近には、江戸時代からの樹木も残っている。
七郷堀
七郷堀は,広瀬川の愛宕堰から取水され区役所までの1.6Kmを流れる堀です。取水量は広瀬川水系では随一の量です。 七郷とは小泉、蒲町、荒井、六丁目、伊在、長喜城、霞目の事をさし、これらの地域への農業用水路です。
金刀比羅神社
もともとは材木を運ぶ際,海上の安全を祈って建てられたが、戦後の昭和23年(1948)に町内の人たちが鎮守様として建て直した。 9月の第二土曜・日曜がお祭りの日となっている。読み方として『こんぴら』『ことひら』と2通りの読み方で書かれていますが、 当店では『こんぴら』を押しておきます。
ジーンズショップボイス
第8回の仙台市都市景観賞を受賞した津 國家(つのくにけ)の建物。明治32,3年(1898~99)頃の建築。 当時,津國家は第二師団などに出入りしていた大きな菓子店だった。 大正12年(1923)に,「宮城輪業商会業」の名で自転車卸に業態転換。建物はそのまま使われた。 南材木町の南の入り口に位置し,当店へ来る際最後に曲がる時の目安に最適です。